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教育虐待


東大赤門

さる5/7(水)、東京メトロ南北線「東大前駅」で30代男性による切りつけ事件があったのは記憶に新しいと思います。犯行の背景には、小学生時代に教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した容疑者が抱く、家庭における教育環境への不満がありました。容疑者は、「教育熱心な親のせいで中学時代に不登校になって苦労した。事件を起こすことで、度が過ぎると子どもが犯罪を犯すようになると示したかった」などと供述しているとのことです。


そして、容疑者が犯行場所として東大前駅を選んだ理由は①構内は狭いので逃げられないし、電車が到着したタイミングで事件を起こせば電車が長く止まることになり世間に与える影響が大きいと考えた名前に東大と付いており世間の人たちが教育虐待を連想しやすいと思った駅だった、からとのこと。


①からは容疑者の用意周到な準備や犯行への本気度が伺えます。ただ、これについての考察はこのブログでは割愛します。


私が考えさせられたのは②の理由でした。

「教育虐待」。親である私が信じて疑わないのは(疑いたくないのは)、全ての親が我が子に対して教育を提供する時には皆”わが子の将来のため”と思っているのではないだろうか?という点です。教育にはある程度の経済力が必要なのは、今の日本の現状です。そのお金をかけてまで学校へ通わせたり塾に行かせたりしていること自体が教育虐待になるのか?と言われると、それは本当に悲しい話です。そこで、私が思うにこの犯罪の原因には2つの要素があると思っています。


教育の目的が子どもに伝わっていたか?


良くある話ですが、「何のために勉強しているのか?(学校に行くのか?)」という目的がしっかりと理解されていないまま宿題に向かわされていたりすれば、やる気もなくなれば不満にも思うでしょう。考えてみて下さい。大人だって仕事でも家事でも「いいからやって」とだけ言われて、喜んでやる人はいないと思います。何かをするにはその目的があり、それが分かっているからこそその目的に向かって頑張れるわけです。そして、この動機付けは大人も子どもも変わりありません。

教育の本質的な目的は「人生を豊かにする」ことではないかと思っています。これが幼少期の容疑者に分かるような簡単な言葉で伝わっていたら・・・と思ってしまいました。


適切な方法でコミュニケーションが取れていたか?


今回の犯行動機で引っかかるのが、このポイントです。

容疑者は「小学生のころ、テストの点数が悪いと親に厳しく叱責された」という趣旨の供述をしています。自身の原体験に対する強烈な批判から最終的に蛮行に及んだわけです。このことから、容疑者の親がどのような声掛けのしかたをしていたか?には疑問が残ります。もちろん明言しておきますが、どのような理由があったとしても暴力で人を傷つける蛮行は決して許されるものではありません。しかしながら、上述したような目的に沿ったポジティブなコミュニケーションを取っていたら、もしかしたらこのような惨劇は起きなかったのではないだろうかと思えてなりません。


その方法とは、先ず傾聴。次に共感(同意はしなくても理解を示す)。そして目的や頑張った先にある姿を先に示してあげること。どうせやるなら楽しくやる。出来たら褒める。出来なかったら叱責するのではなく、どうやったら良かったかを一緒に考えたり選択肢を提示してあげる。こういったコミュニケーションが不可欠だと思います。


教育虐待と教育熱心の境目


では、教育虐待と教育熱心の境目はどこにあるのでしょうか?

残念ながら「愛」ではないようです。なぜなら、虐待している親はそれが虐待ではなく愛と勘違いしているからするのであって、自分のしていることに気づいていないというのがこの問題を複雑にしている背景です。


私が思う境目は、「誰のためにしている行為か?」です。

その叱責によって起こる変化は、子どもの行動なのか?親自身のストレス解消なのか?後者の場合たいてい子どもは納得いっていませんから、勉強をもっと頑張るといった行動変容には繋がりません。逆に言えば、子どもの行動に変化が見られなかったということは、そのアプローチは間違いであり虐待へ繋がるかもしれないのです。


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最後に個人的な話ですが・・・

私が特にこの事件に関心を寄せたもう1つの理由が、東大に通う息子が今年から駒場→(今回事件のあった駅近くの)本郷へキャンパスを移したばかりだったことで、他人事ではなかったからです。事件の直前には、容疑者はおよそ1時間20分にわたり東大構内で食事や散策をしていたようで、その頃は息子も構内にいたようでした。東大が教育虐待の象徴として語られることは、悲しみと嫌悪感しかありません。家族で一緒になって考え、本人が決めて進んだ道として選んだ大学であることは、我が家にとってゆるぎない事実です。このようなご家庭は沢山あり、これから先もいることでしょう。未来ある彼らにとって、安全安心の上に教育を受ける権利がなくてはならないという想いをより強くした事件でした。

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